NEKOさまのトーリンfanfic(日本語版) ― 2014/12/27 00:03
「泉のおとめ」
by NEKO
トーリンは仲間たちの間からつと離れて
まだ悪竜スマウグの息の生臭さが残る地下の大広間へと
よろめく足で階段を下って行きました。
先刻のトーリンの言動は仲間たちを(家宰のバーリンをさえ)心底失望させていましたから
誰も彼のあとをついて行こうとはしませんでした。
まさか、まさかほんとうにあの忍びの者が、山の精髄たるアーケン石をあのおりスマウグの鼻先から拾い出してきていたとは!
あやつは、だからあのとき言葉を濁したのだ。 あのときあやつをしめあげて、逆さに持ってふるいだしたら
かの大切な宝はそのふところから転げ出たかもしれぬものを・・・!
そこにアーケン石がないことが分かった今となって、
黄金を寝床にしていた長虫もまた二度とそこには戻らないこともはっきりしたわけで
トーリンは怒りと混乱を抱えたままおびただしい黄金と宝石に埋め尽くされた広間をしばらく呆然と見つめていました。
「・・・わたさぬ。」
彼の口から乾いたひとことがこぼれ落ちました。
「わたさぬぞ。これは山の下の王国のもの。
エスガロスのものどもには約束通り分け与えてやってもよかったが
スランドゥイルの肩を持つというなら話は別だ。
私はあの者をけっして許さぬ。」
「それから、ビルボだ。」と彼はまた思いました。
「あのきたないちびの盗っ人めが!」
そう口にしてしまってから、鷲に運ばれたあの時の事が、それからはなれ山の秘密の入り口の前でのことがその胸によみがえりました。
あの小さい人を感謝をこめて抱きしめた手触りが、苦い思いとともにこみあげてきました。
ドワーフ以外の者と交わした友情がかくも手ひどい裏切りによって終わりを告げた(少なくとも、トーリンにとってはそう思われました)ことに、
彼はここしばらくはなかったほどに傷ついていたのです。
広間を幾重にも埋め尽くし敷き詰められた財宝の数々は今や空しいがらくたの山とも見えました。
けれどもそれほどに寄せ固められた黄金がはなつ光は言い知れぬ力を持っており、
それにおびき寄せられて長くここにとどまっていた竜の邪悪な瘴気を浴びてますます禍々しい力を増しておりました。
それらがトーリンの心をむしばみ、気持ちを荒ませ、魂をくり抜いてそこによこしまな怒りを詰め込もうとしていました。
いまや誰一人、彼の味方は居ませんでした。
次に彼の口から漏れたのはもはや西方語でもドワーフの言葉でもありませんでした。
荒い息遣いともうめきとも似た音はしだいにしゅうしゅうという蒸気の噴き出る音に変わってゆき、
その身はむくむくと膨れ上がって見上げるような巨体となり、
全身に逆立つ鋼鉄のうろこをまとった黒々とした竜が、腹の中に赤々とした火床を抱えて立ち上がりました。
スマウグと見まがうばかりの巨大な長虫と化したさまは、もしも誰かがこれを見たとしてもそれがトーリンであるとはけっして気づかぬであろう姿でした。
竜の姿で、トーリンは血のように赤い炎を吐き散らし、鋭い爪であたりをすさまじい音を立ててかきむしり、炎と煙霧はこうもりのような翼のはためきで広間中に吹きすさびました。
みずからが起こす熱風に身を焼きながら、怒りと絶望をこめた咆哮をとどろかせ、トーリンの竜は暴れて暴れて暴れ続けました。
そのとき、この地獄のような広間に、白い小さな人影が姿を現しました。
それは外界へと続く広間の入り口からではなく、最奥の玉座のあたりにまるで水が流れ込むようにいつのまにか現れたのです。
それは抜けるように白い肌を白い衣に包んだほっそりと小柄なおとめでした。
黄金の髪は長くゆたかに波うち、夜明けの空のごとく深い青の瞳をひたとトーリンの竜にあてたまま
おとめは恐れる様子もなく竜へと近づいていきました。
かのじょが歩むその周りからは火も煙霧も消え去り、吼えながらのたうっていた竜はたちまち小さく、もとのドワーフに立ち戻って黄金の上にうずくまりました。
おとめは白い手をのべてトーリンの背にそっと触れ、呼びかけました。
「若殿。」
トーリンはゆっくりと頭をもたげ、夢うつつのままつぶやきました。
「・・・私は、どうした? 何をしていたのだ?」
おとめはその背に手を置いたまま、
「怒りに我を忘れておいででした。さながら、竜のごとくに。」と静かな声で言いました。
トーリンは、その声に初めてそこに誰かがいることに気づき、同時にその声の主が誰であるのか思い当ってはっとしたようでした。
彼はふり向き、まじまじとおとめを見上げて言いました。
「そなたなのか? クラリタ。
ずっとここに居たのか? あのときからずっと」
エレボールの地下宮殿の深奥には、山の根からこんこんと湧き出でる泉があって、
澄んだその水は燈火とミスリル細工の囲いのきらめきを反射して白く輝きわたり、
ためにエレボールの領主たるドワーフの王は「白銀の泉のあるじ」とも呼びならわされていました。
泉には巫女たる守り手がいて、それは代々白き肌のおとめが担う役割でありました。
エレボール陥落のあの日、竜が襲い来ったあの折に、泉を守っていたのが黄金の髪に夜明けの空のごとく青い瞳の、クラリタでした。
そしてそのクラリタこそ、若王子であったあの頃トーリンがこころを込めて愛したただ一人のおとめでありました。
あの日、竜の襲来の予兆を見抜いたトーリンは、王の側近であり自らの守り役であったバーリンとともに慌ただしく防衛戦の先頭に立ち
圧倒的な竜の炎に焼き尽くされ破壊された宮殿から負傷者に肩を貸しながら必死に落ち延びました。
多くの同胞が炎の中から逃げ延びることかなわず、故郷を失ってさまよう月日の間にも多くの者が命を落としました。
そうしたことの間じゅう、トーリンのこころからは行方の知れないクラリタのことが片時も離れることはありませんでしたが
宮殿の奥の泉の間へと向かう彼女を見たという者があるほかは、誰もその消息を知る者はおりませんでした。
歳月が過ぎ去るなかで、トーリンは救い出すことのできなかった彼女を思い、また亡き祖父とこれも行方の知れない父を思って
ひげをあご下で短く断ち落とし、それを長く伸ばすことはありませんでした。
そのクラリタが、今ここにトーリンの目の前に現れ出でたのです。
トーリンは彼女の頬に指をふれ、黄金の髪を撫でながら静かな声で言いました。
「あの頃のままの姿だな。あの日がやってくる前、我らがともに幸せな希望に満ちていたあの頃のままの。
ではこれは夢か? そなたはもはやこの世に生きてはいないのだな。」
最後の一言は、まるで泣いているかのように震える声音で囁かれました。
この王は、耐え難いほどつらいことがあるとこうして声音を震わせるのが若いころからのくせなのです。
クラリタはそれをよくよく知っていました。
それで、彼女はただやさしく微笑むだけで、自分の命がとうに亡いことをはっきりと口にはしませんでした。
「夢でもよい。そなたにまた会えて嬉しいぞ。
わたしはようやく、そなたに詫びることができる。
あの日そなたのもとに駆けつけることができなかった。
そなたを救い出せなかった。
ゆるしてくれ。」
「あなた様はなすべきことをなさいました。なにを詫びることなどありましょう。
そしてわたくしもまた、なすべきことをなそうとしたのです。」
「あの日そなたが泉の間へ向かうのを見た者がいる。
滝の口を切ろうとしたのか?」
白銀の泉につらなるエレボールの地下水脈は山の内部を縦横に走り、ドワーフ王国の水源としてさまざまに利用されており
山を出るときにはエレボールの城門の脇、山の中腹から滝つ瀬となって流れ落ち、谷間の国デイルを走り抜けてたての湖へと流れ下ってゆきます。
滝の口とは、エレボールの内部の水路をあやつる水門のことでした。
「はい。」クラリタは答えました。「火竜の熱を伏せるのは水に違いないと思いました。けれど」
トーリンにはすべてが飲み込めました。おそらくそうであろうと思っていた通りでした。
「われらを巻き込みたくなかったのだろう? 泉の間で機会を待つつもりだったのだな。」
そこから先のむごい顛末は聞きたくもない話でした。
竜は、そこに誰かがいることを知っていたかのように、玉座の間に入り込むと八方に火を噴き壁の向こうまで届く熱ですべてを焼き尽くしたのです。
それから、竜は泉の間にもその醜い鼻先を突き入れてそこにも火を噴きかけました。
「ここに、水の使いがおることをわしが知らぬとでも思ったか? おろかなドワーフめ。
このわしに水を浴びせることなどできぬわ。
ではゆっくりおやすみ、泉のおとめ。黒焦げではもはや夢も見られぬだろうがな。」
トーリンはクラリタを抱きしめて涙をこぼしました。
「一人きりで、そんな目に遭ったのか。恐ろしかっただろう。すまぬ。」その声は先ほどにもまして震えていました。
彼女の復讐すら果たしてやることができぬ仕儀に、身のおきどころもない思いでした。
「なにもかも遠い昔のことです。恐怖は過ぎ去りました。どうかお心を痛められますな、若殿」
今は幻にすぎぬはずのクラリタがやさしくトーリンの背をさすりました。
「まだ私をそう呼ぶのか。もう若くはないぞ。」
そう言いながらも、こうしていると時が戻り、長いひげを三つ編みにしていたころの屈託のない自分に戻るような気がしてくるのが不思議でした。
じりじりと胸の内を焼くいくつもの苦しみが水の流れに洗われていくように感じられました。
泉の巫女は水の癒しのわざに長けた癒し手であったことが、今更のように思い出されました。
クラリタの姿が急におぼろげになったような気がしてトーリンは抱きしめていた腕を緩めました。
これまではっきりと見えていた黄金の髪も白い肌もミスリルの銀をちりばめた白い衣装も、しだいに透き通って光り輝き始めていました。
その輝きには見覚えがありました。
それはアーケンの石の輝きにうりふたつでした。
「その通りです。
わたくしはいま、アーケン石の力を借りてここにいるのです。
あなた様を離れても、アーケン石は山の下の王のためこうして力を貸してくれています。
なんびとも、それをとどめることはできませぬ。
わたくしが、あなた様のこころをけっして離れぬのと同じでございます。
あなた様は、なにも失ってはおられませぬ。
嘆かれますな。
お心を安んじられませ。」
そう言い終えると、ふたたびクラリタはトーリンに向かってやさしのほほえみをおくり、
それからゆっくりと光の粒となってその腕の中から消えてゆきました。
彼女の姿がすっかり消えてしまっても、トーリンの心はもう痛みませんでした。
クラリタがどこへも去らず、自分とともに在ってくれることがはっきりと解ったからでした。
トーリンはしずかに微笑むと、立ち上がりました。
広間を覆い尽くす黄金はもはや彼の目には入りませんでした。
「この黄金のすべてをもってかのひとつ石を買い戻そう。
あれは、わがもとに在りたがっているのだ。
あるいは、この山の精髄として、エレボールの中に帰りたがっているのだ。」
ゆるぎなくそう決意すると、
彼は地下宮殿から出る階段をゆっくりと上りはじめました。
コメント
_ grendel's mum ― 2014/12/27 00:09
_ NEKO ― 2014/12/28 13:39
また、英訳してくださったSootyさま
NEKOの飼い主、サムですだ。
あらためまして、ほんとにありがとうごぜえましただ!
自分でお礼申し上げろとさんざん申しましただが、
NEKOのやつ恥ずかしがって、PCの画面に顔も上げられねえ始末で(笑)
いまだに自分でこの記事の本文を(トーリン様のお写真以外)読めねえでおりますだよ。
しょうがねえので、おらが代わってお礼を申し上げにまいりました次第ですだ。
ほんとにこれが、少しでも皆様方の涙腺修理にお役に立てば
おらもNEKOも「望外の喜び」ちうやつですだ。
_ grendel's mum ― 2014/12/28 17:13
ご主人さまには、本当に日本中の、そして英訳版で世界のトーリンファンの慰めとなる、すてきな物語をシェアしてくださったこと、感謝しているとお伝え下さいね。
それからもう一つ伝言お願いします:ビルボへの手紙もブログにアップしたいので、タイトルを付けてくださいって。よろしくお願いします!
_ NEKO ― 2014/12/28 18:12
けど、「猫は飼い主を召使いだと思ってる」ちう話を聞いたことがありますだ。うちのもそうに違えねえですだね?
トーリン様の、ビルボ大旦那へのお言葉の題名ですだか?
・・・あれには特段の名前はねえそうです。
強いて言うならそのまま
「ビルボよ。( to Bilbo)」てとこでしょうかね。
Sootyさま、英語じゃどんな具合でしょう?
_ grendel's mum ― 2014/12/28 22:35
ところで、そうですか、じゃあ「ビルボよ」と"To Bilbo"で行きましょう。
_ grendel's mum ― 2014/12/28 22:51
_ NEKO ― 2014/12/29 00:48
サムはそう前置きして、灰色港からの帰宅をローズに告げてましたものね。
台所のすみで丸まって聞いていたのに、忘れていました(笑)
Sootyさま、いかが?
_ Sooty ― 2014/12/29 02:05
本文の書き出しは Well, でお願いします。
_ Emma ― 2014/12/29 13:15
おお、私の乾いた涙腺への挑戦がいろいろと。ありがとうございます♬
にゃんこのNEKOの召使いがSam殿なのですね。
わたくしEmmaは我が家のニャンズのお世話係兼財務担当 笑
ボスたちは食事のたびに私の顔を見て、家のローンさっさと完済して食事の質を格上げしろ!と文句いってます。いえ、決してお安い物を買い与えているわけではありません。獣医費用より食料のほうがやすいですもの。
トーリン様、年内にもう一度劇場でお会いしたいな~~
上映時間チェックしてみよう。雪のないXmasのあと、氷点下に戻りましたが、雪も氷もないうれしい年末なのです。昨年とは大違い!
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大変遅くなりましたが、NEKOさまによるfanficです。
『ホビット 決戦のゆくえ』をご覧になって、涙腺決壊なさっている日本のトーリン/RAファンのみなさま、これをお読みになると、本当に癒され心洗われます!是非ともご一読を!
なお、Sootyさまが英訳してくださった英語ヴァージョンは別にアップしますね。